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選手人生をあきらめ俳優の道を目指したことも子どもたちのおかげでバスケへの情熱を取り戻しました

選手人生をあきらめ俳優の道を目指したことも子どもたちのおかげでバスケへの情熱を取り戻しました

『湘南サンズ』は神奈川県の湘南で活動するバスケットボールチームです。3人制バスケットボールの普及を通じて、子どもたちへ夢と希望を伝え、さらに湘南を盛り上げるために活動しています。
今回は、『湘南サンズ』を運営するオーナーであり、プロバスケットボールチーム『東京エクセレンス』の現役選手でもある石田剛規さんに、バスケットボール選手になった理由や、プロ入り後の挫折のエピソード、そして一度引退し、競技に復帰するまでの流れなどについてお話を伺いました。

友達の数で選んだバスケに徐々にのめり込む

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― バスケットボールはいつ頃から始められたのですか?

小学4年生からですね。運動が好きだったので、バスケ部とサッカー部から、友達が多かったバスケ部を選びました。その時はそれほどバスケに思い入れはなく、むしろ練習が辛くて、どうにかして休みたいと考えていました。でも6年生になるとキャプテンを任されるようになり、だんだんとのめり込んでいきました。中学・高校とバスケを続け、中学ではジュニアオールスターに選んでもらい、高校では国体に出場しました。

― その後、慶應義塾大学に進学し、体育会のバスケットボール部に所属したんですよね。

はい。まわりには高校で日本一になったメンバーや、日本代表候補になっているような人もいて、正直レベルの高さに圧倒されました。高校まではチームのなかで一番身長が高かったんですが、大学では自分よりも大きい人がゴロゴロいて……。大学1、2年の頃はついていくので精一杯で、ただがむしゃらに自分ができることをやっていました。

iv07_img_03.jpg 大学バスケ時代

― 環境がガラリと変わったわけですね。大学時代の思い出はありますか?

体育会の活動に加えて、勉強も忙しかったのでかなりバタバタしていました。実は「建築の勉強がしたい」と慶應大学に入ったので、建築関係の授業を受けていて、毎週テーマに合わせた図面や模型を提出していました。練習が終わるのが夜の9時ぐらいだったので、そこから遅くまで作業したり、朝早く起きて作ったりする生活はなかなか大変でしたね。

バスケ一本で生きていこうとプロの道を選ぶもすぐに挫折

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大学バスケ時代

― 大学を出た後、就職ではなくプロの道に進んだ理由を教えてください。

卒業後は大学院に進んで、建築士の資格を取得して建築関係の仕事に就こうかと思っていいました。でも大学3年生の秋に、トヨタ自動車のバスケチーム『(現)アルバルク東京※1』のヘッドコーチからスカウトしていただいたんです。僕自身、声をかけてもらえるとは思っていなかったのですが、これまでバスケだけに専念する時間がなかったので、一度挑戦してみようかなと。両親やOBからは「プロの道を選ぶよりも、仕事をしながらバスケを続けていったほうがいいんじゃないか」と反対されましたが、反対を押し切ってプロの道を選びました。
※1 アルバルク東京はB-leagueが開幕してからの名前で以前はトヨタ自動車アルバルクでした。

― 難しい決断だったと思います。そして、晴れてプロのバスケットボール選手となったわけですが、プロ生活はどうでしたか?

『アルバルク東京』はバスケ界のトップ選手が集まるチームで、同期も日本代表の選手でした。僕自身もU-24に選ばれていたので、自信もありましたし、どう自分をアピールしていこうかと期待しながら入ったのを覚えています。しかし、U-24の大会中に靭帯を怪我してしまい、結果的に1年目はほとんどプレーできずに終わってしまいました。

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― それは悔しかったでしょうね。1年目に怪我をしてしまったということで、まわりから出遅れる形になったと思いますが、焦りはありませんでしたか?

多少はありましたね。でもその時の怪我はそこまでショックではなかったんですよ。人生で初めての大怪我だったこともあり、楽観視していたのかもしれません。ちゃんと手術してリハビリをすれば、また活躍できるようになるだろうと。けれど、2年目に復帰する直前、また同じ怪我をしてしまって、これはやばいなと思いました。2年間ほとんどプレイしないのは不安が大きかったので、手術をせず、まわりの筋肉を鍛えたり、テーピングをすることで続けてみようと決断しました。

― 2回目の怪我が、引退を決意した大きな原因になったのでしょうか?

そうですね。怪我をしたことで自分の思い通りに体を動かせなくなっていましたし、コーチからの評価も下がっていきました。すると、試合に出場する機会も減り、試合の勘も失われていきますので、プレイタイムをもらっても活躍できない。しまいには夢や希望を持ってプロになったはずが、バスケをしていても楽しいと感じることができなくなってしまったんです。結局は4年間『アルバルク東京』にいましたが、契約が終わった後、移籍してまで続けるよりは、一旦離れたいという思いが強く、引退することに決めました。

好きだったバスケを辞め俳優の道へ…

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― 引退後は何をされていたんですか?

契約が終了する少し前から別の道を探し始めていました。バスケを裏側から支えたいと思い、メディア関係の企業へ就職活動をしていましたが上手くいかず、その後の仕事が全く決まらないままチームとの契約も終了に。といっても何もしないわけにはいかないので、ジュニアの指導のお手伝いをしていました。ただそれも正式な協会のメンバーとして派遣されて働いていたわけではなかったので、これからどうしようか悩んでいました。

― そんななか、フジテレビ系の月9ドラマ『ブザー・ビート~崖っぷちのヒーロー~』(2009年放送)で俳優デビューをされたのはどういったきっかけですか?

バスケを題材にしたドラマを作るために、俳優さんにバスケを教えて欲しい、というのが最初のきっかけでした。それで監督やプロデューサーさんと一緒にご飯を食べていたら、急に「役を一つ作るから、出てみないか?」と。今まで演技なんてしたことがなかったので、断ろうと思ったんですが、「普段バスケをしているような自然な感じでやれば大丈夫」と言われ、次の道を模索していたところでもあったので、思い切って挑戦してみることにしました。

そんな裏話があったんですね。俳優のお仕事は楽しかったですか?

楽しかったというより、正直恥ずかしさを消すので精一杯でしたが、まわりに有名な方がたくさんいるなかで、一緒にドラマを作るというのはやりがいがありました。頂いた仕事なので、どうやったらもっと自然に見えるかを真剣に考えたりもしていました。『ブザービート』が終わった後も、もう少し俳優を続けたいという思いがあり、監督の誘いで別のドラマにも出させていただいたんです。しかし、いざやってみて、完成した映像をみたら、自分の演技はかなりひどい出来でしたね。演技の学校に通いもしましたが、どう演技をすればよいか分からずに、向いてないなって思いました。

バスケへの情熱を取り戻して現役復帰

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― 俳優の道をあきらめ、もう一度競技に復帰されましたが、なぜまたバスケットボールをしようと思われたんですか?

俳優としての仕事だけではもちろん食べていけずに、このままではいけないという状況のなかで、『千葉ジェッツ』という新しいバスケチームを立ち上げるという話があったんです。それに大学の後輩が関わっていたこともあって、何か運営を手伝えればいいなと思ったのが始まりです。「まだ体動くじゃないですか」と後輩に言われ、その時はもう、バスケに対して感じていたネガティブな感情も消えていたので、そう言ってもらえるなら、選手としてまたやってみようかなと。トライアウトを受けた結果、ドラフトで『千葉ジェッツ』に指名してもらい、選手として復帰することになりました。

― ネガティブな感情を払拭できた理由はなんだと思いますか?

引退した後、ジュニアの指導をしていくなかで、バスケを始めた頃の純粋な気持ちを思い出せたからだと思います。U-12の選手は小学生なので、僕がちょっとしたプレイを見せるだけですごく喜んでくれるんですよ。子どもたちは、試合でシュートが決まるとはしゃいで、外れたらショックを受ける。『アルバルク東京』でプレイしていた時は、何分試合に出て、何本シュートを打って、そのうちの何本が決まったか、という数字にとらわれていました。そうではなく、シュート一本決まっただけで飛び跳ねていた昔のように、シンプルにバスケが好きだという気持ちを取り戻せたことが、もう一度選手としてプレイしようと思えた理由だと思います。

― なるほど。確かにプロ選手としては結果も大事ですが、それ以上に競技に対する情熱がないと続きませんよね。初心を思い出させてくれた子どもたちには頭が上がらないのではないでしょうか。

続く後編では、石田さんが競技に復帰した後、自分でチームを立ち上げた経緯や、オーナーとして大切にしていることなどについてお伝えします。

「選手兼オーナーという新たな人生 何もできないからこそ人に迷惑をかけていきたい|石田剛規」後編記事を読む

文/日下部貴士(A4studio)